大峰城の現在は・・・
2016年12月20日
北沢てつや(長野市議) at 18:39 | Comments(0) | 愁い
すっかり冬の様相になってきました。
長野市議会12月議会が始まる前に、幾つか現地調査をして回っていた中に「大峰城」があったのですが、現状の報告をさせていただきます。
もともとは落合氏の家臣・大峰氏の城と言われていますが、城の沿革などについては不明な点が多く、堀切などが残っていますが実際は謎のままだそうです。
1962年(昭和37年)に本市が観光促進のために4階建ての鉄筋コンクリート製の模擬天守を建設。展望台として使用されていましたが、1981年に収集家の方によって蝶の標本が寄贈され、「大峰城チョウと自然の博物館」となりました。
この博物館には国内外から約3000種もの蝶の標本が集められ、1階と2階の部分に博物館、3階に城の歴史紹介コーナー、4階に展望台とされていました。

↑↑ 立派な大峰城 しかし・・・↑↑
1985年に地附山の地すべり災害により戸隠バードラインの一部が廃道となり、アクセスが悪くなったため、来場者数が激減・・・。
それまでは年間数万人だったのですが、災害により数千人規模に落ち込み、2001年に市は博物館の閉鎖を決定。標本の受け入れ先も見つからないまま、2007年(平成19年)12月に博物館は閉鎖となりました。
現在、模擬天守は使われないまま建物だけが寂しく残っています。
ワタシも小学生の時に遠足(…?確か)で行った記憶がありますが、今は廃止されていたと聞いて寂しい気持ちになりました。
公共施設のあり方を考える中で、大峰城のように廃止するべきか、残すべきかの厳しい判断をしなければならない時代になりました。
昔の楽しい記憶の施設がなくなっていくのは寂しいですが、この少子超高齢化時代に地方が生き残るには何をしなければいけないのか…。そんな事を考えながら選択していきたいと考えます。
皆さんのご意見お聞かせ下さい
北沢てつやHP~市民の懸け橋に~
http://tetsuyakitazawa.com/
長野市議会12月議会が始まる前に、幾つか現地調査をして回っていた中に「大峰城」があったのですが、現状の報告をさせていただきます。
もともとは落合氏の家臣・大峰氏の城と言われていますが、城の沿革などについては不明な点が多く、堀切などが残っていますが実際は謎のままだそうです。
1962年(昭和37年)に本市が観光促進のために4階建ての鉄筋コンクリート製の模擬天守を建設。展望台として使用されていましたが、1981年に収集家の方によって蝶の標本が寄贈され、「大峰城チョウと自然の博物館」となりました。
この博物館には国内外から約3000種もの蝶の標本が集められ、1階と2階の部分に博物館、3階に城の歴史紹介コーナー、4階に展望台とされていました。

↑↑ 立派な大峰城 しかし・・・↑↑
1985年に地附山の地すべり災害により戸隠バードラインの一部が廃道となり、アクセスが悪くなったため、来場者数が激減・・・。
それまでは年間数万人だったのですが、災害により数千人規模に落ち込み、2001年に市は博物館の閉鎖を決定。標本の受け入れ先も見つからないまま、2007年(平成19年)12月に博物館は閉鎖となりました。
現在、模擬天守は使われないまま建物だけが寂しく残っています。
ワタシも小学生の時に遠足(…?確か)で行った記憶がありますが、今は廃止されていたと聞いて寂しい気持ちになりました。
公共施設のあり方を考える中で、大峰城のように廃止するべきか、残すべきかの厳しい判断をしなければならない時代になりました。
昔の楽しい記憶の施設がなくなっていくのは寂しいですが、この少子超高齢化時代に地方が生き残るには何をしなければいけないのか…。そんな事を考えながら選択していきたいと考えます。
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